東京地方裁判所 昭和39年(ワ)2322号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔事実と争点〕原告は被告振出分離前の共同被告山東農機株式会社宛金額金一五万円の約束手形二通の所持人として振出人たる被告にたいし手形金の支払を求めたところ、被告は、山東農機が原告会社にたいし約束手形を裏書譲渡したとしてもみぎ裏書譲渡当時原告の代表取締役鈴木伊三郎は山東農機の代表取締役であり、右裏書譲渡については山東農機の取締役会の承認を得ていないから、右裏書は商法第二六五条に違反し無効であると主張した。
判決は手形行為の性質上、手形行為自体はなんら手形当事者間に利害の衝突を来す余地がないから商法第二六五条にいう取引にはあたらないとして被告の抗弁を排斥したが、この点に関する従前の最高裁判所小法廷の判決にも触れながら、つぎのとおり説明している。
〔判決理由〕当裁判所は無因証券である手形についてはその支払方法としての手段性に鑑み、手形行為自体なんら手形当事者間に利害の衡突を来す余地がなく、その行為のよつて為された実体的原因は、流通の過程に於ては背後にかくれ手形所持人は、正当な所持人である限り、すべての債務者に対し、その履行を請求し得るが、直接の前者が無権利者であることについて悪意である場合にのみ、その請求を為し得ないと解する。最高裁判所第一小法廷は、昭和三九年一月二八日同裁判所昭和三四年(オ)第一二二八号事件に於て、「商法第二五六条は、取締役が会社と取引をする場合、会社利益の犠牲において、私利を営もうとするのを防止して、会社の利益を保護しようとの目的に出た規定であると解せられるところ、原判決によれば、被上告人(註、会社の取締役、手形所持人である原告)は、右取引の際、手形額面と同額の現金を融資して、これを会社に手渡したというのであるから、被上告人は右取引によつて少しの利得をもしていないばかりでなく、会社もまたそれによつてなんらの犠牲をも払つていないことが明らかである。このような事実関係の下では、被上告人と右会社との間の右取引には、なんらの弊害も見られないから、右取引は、商法第二六五条にいう取引には該当しないものと解するのが相当である」(裁判所時報第三九四号第二頁以下参照)と判示した。しかしながらこの判決は約束手形の所持人(取締役)とその前者である株式会社との取引が、その取締役会の承認がなくて為された場合であつても、債務者である会社が犠牲を払つたか否か、相手方である取締役が利得をしたか否かによつて、即ち手形行為に、その背後の実体関係を反映せしめ、その手形行為の有効、無効を決しようとするものであつて、手形の中性的手段性を看却するものとして、にわかに追随し難い。尤も、最高裁判所第二小法廷は、昭和三六年六月二三日言渡した判決(最高裁判所判例集第一五巻六号一六六頁以下参照)に於て商法第二六五条に違反して裏書された約束手形の所持人が、手形法第一六条第二項によりそれを善意取得し得ることを判示したが、当裁判所は、商法第二六五条違反の抗弁は専ら手形法一七条但書の悪意の抗弁として判断すべきものであり、権利の善意取得を規定した手形法第一六条第二項の抗弁として把握することは妥当でないと考える。元来、会社が取締役との間に、手形行為を為しながら、手形所持人に対し、自己の取締役会の承認がなかつたことを理由として、その手形行為の無効を主張し得るとすることは、たとえ、悪意、重過失の所持人に対しては、支払義務がなく、かつ、その悪意、重過失の要件の立証責任は債務者たる会社にあるにせよ、自然法の表われとも見られ得る禁反言(表示による)の原則(この点につき伊沢孝平博士著『表示行為の公信力』五〇頁、二四二頁参照)に違反するのみならず、手形行為が単純性、明確性を要求せられ、条件の附加が許されない本質にも違反していると謂い得る。手形は流通証券として、相手方から更に第三者に転々流通するものであり、手形行為者が自ら当該手形行為を為しながら、実体法上の理由により、それが無効であると主張することは、本来許されないところである。それ故、当裁判所は、商法二六五条違反の抗弁を原告株式会社に主張し得るものは、原告株式会社に対する直接の前者である山東農機のみであつて、更にその前者である被告株式会社は、それを主張し得ないと解する。これ、人的抗弁の個別性として説かれるところである。(鉅鹿義明)